平成 ⇒ 令和へ

平成から令和へ、栄光の架け橋。
さて、今日は平成の元号の楽日ですな。

小渕官房長官が「平成」の額を掲げたあの日から、
もう30年、そして31年目に突入しているところです。

あの時は「平成」と聞いて、なんだかだっせ~な! とか思ったんだが、
あれから30年! えぇ~! そんなに経った?
って感じ。

ちょっと振り返ると、一番驚いたのが「Windows95」が発売され、
世間がにぎやかに騒いでいたあの時って、ずっと昭和だったと思ってた。

あれって平成になってからの出来事だったんだね。
平成って1989年の1月8日からだから、まぁそうだよね。

私は昭和生まれだから、よく考えると昭和の時代ってまだ学生だった。
オトナとして物心ついて、ネット上で活躍し始めて、
全盛期を迎えたのは2000年になってから。

なにで活躍してたかと言うと、ストリップの踊り子の追っかけ。
ステージレポートの貴公子と・・・(笑)

毎週日曜日には浅草ロック座へ行き、
ステージを見てそのレポートをHPにアップすると言った日々。

そして運命のめぐり合わせなのか、
大阪十三ミュージックのアイドル踊り子木内雪美と出会うわけだな。
しかもその出会いはストリップ劇場ではなく、個人的なメル友として、
知り合い、ストリップ劇場へ踊り子の木内雪美のステージを見に行くと言うのではなく、メル友がたまたまストリップの踊り子やってるから、ストリップ劇場へ会いに行くみたいな妙な事になった。(笑)

そして、木内雪美の紹介で渡辺理緒と大宮で初めて対面をする事になり、その日から私の活躍が始まったわけである。

渡辺理緒のステージは筆舌に尽くしがたいほど、素晴らしいステージであったため、そのステージのレポートを必死になって書き続けた事で今の私のポジションを獲得したと言える。つまり、渡辺理緒によって「私は活かされた」のである。

木内雪美と渡辺理緒と言う女性二人によって私はこの世に生まれたとも言える。
私にとって「平成」とはそう言う時代だった。

そして私にとって「平成」と言う時代は実に「能天気」で「C調」に過ごせた。
多分、私が私である大元は、能天気でC調でいる事だと思うのだ。

ところが最近の私はどうだろう。

周囲とのバランスや社会人としてとか、責任とか、忖度とか。
どこか自分で自分の首を絞めているような事ばかりだ。

私は別に「社会的に立派な人」になどなる必要はないのに、
何事においても「こうあるべきだ!」などと考えてしまう。

ん~・・・
いつから私はこんな風に自分を欺くようになってしまったんだろうな。

今の自分は自分ではないって感じがする。
そもそも自分は「能天気でC調な人」なのだ。
別に「良い人」になる必要などどこにもないので、
もっと「本能」のままに「自由」に生きていいはずだ。

自分にとってこれからやって来る「令和」と言う時代のテーマは、
行き過ぎた「理性」を捨てて、本来の自分、あるがままの自分に戻る。
そう言うこったな。

あぁ、「理性」を捨てるとは言っても全部捨てるわけではない。
全部捨ててしまうと、きっとこうなる(笑)

 


2019-04-30 | Posted in NOTEComments Closed 

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